広瀬すず【なつぞら】柴田泰樹と剛男のモデルとは?開拓移民一世のフロンティア精神の土台はキリスト教と二宮金次郎

2019年4月から放送の朝ドラ【なつぞら】

主演はセブンティーンモデル出身で若手演技派女優として人気の広瀬すず。

その役は戦争で両親を亡くし、のちにアニメーターとして大成する女性。

朝ドラ100作目であり、99作目のヒロイン発表より前に発表となる異例の早期発表でも話題になりました。

ここでは、広瀬すず主演朝ドラ【なつぞら】で話題の「開拓民一世」を元にドラマの見どころを紹介しています。

十勝への様々な開拓民一世と帯広

広瀬すず演じる奥原なつが暮らすことになる十勝の柴田牧場。

ドラマの中で柴田家は「北陸からの開拓移民」という設定です。

十勝の唯一の「市」である帯広は、静岡県伊豆からの依田勉三率いる移民団「晩成社」が開拓したところとして知られています。

そのほかにも、十勝には以下の図のように北陸の石川県、岐阜県、福井県からも、多くの移民団や移住者が移り住んだところでした。

画像出典

この移民団は洪水による影響で1890年代後半に移住した人たちですが、ドラマで草刈正雄が演じる北海道移民一世である剛男の父・泰樹のモデルである依田勉三は、その10年ほど前に十勝の地に移住し、当時ほとんどアイヌ民族しかいなかった場所へ分け入っていった開拓団の中でも最初期の人々です。

依田勉三率いる晩成社は入植早々に帰郷する一家が出てしまうなど、想像を超える北海道の環境に多くの苦労を重ねました。そのことから、勉三は自分の性急さを悔やむこともあったそうです。

さらに、当時その地にいたアイヌたちも見知らぬ一団が来たことで、他の地へ移り住んでしまい、残ったのはアイヌの長・モチャロクだけだったと言います。

それでも晩成社はアイヌの人たちとも積極的に交流をはかり、アイヌの娘を嫁に迎えるメンバーもいました。

こうして帯広の開拓がスタートしたわけですが、晩成社を十勝へと導いたのは一体なんだったのでしょうか。

依田勉三はせっかち頑固ジイさん?開拓民一世のリアルな姿。藤木直人演じる剛男のモデルは依田善助?

依田勉三が十勝開拓の決意をしたのは、御雇外国人の一人ホーレス・ケプロンや「少年よ大志を抱け」で知られるクラーク博士の息がかかる北海道大学の前身「札幌農学校」第一期生の内田瀞(きよし)、田内捨六の調査報告書を読んだこときっかけだと言われます。

しかし、数年経っても開拓予定の面積には程遠く、最終的には近親者以外のほとんどが晩成社を見放すような状況にまでなってしまいます。

さらに依田勉三とともに幹部として入植した渡辺勝や鈴木銃太郎という同志たちとも、半ば仲違いという形で離れて開拓することにもなりました。

さらに、生前の勉三は実の子供には恵まれず(最初の息子は3歳で夭逝)、ドラマ同様、養子を迎え入れていました。

広瀬すず演じる奥原なつを連れてくる、藤木直人演じる剛男も養子という設定で、そのあたりも史実に基づいて描かれているところです。

この藤木直人演じる剛男のモデルは、依田牧場の管理人となったことのある勉三の養子・依田善助に当たる人物だと思われます。

依田善助が酪農を扱う「依田牧場」の管理を始めたのが、十勝の治水計画がようやく始まった頃で、第1次大戦が終わり、2次大戦が始めるまで15年ほどの1924年。

数年前に十勝鉄道が設立され、その前から国策として奨励された「ビート栽培」も始まっていました。

ドラマではこの「ビート=甜菜糖」もまた重要なキーワードとなります。

しかし、実はこの晩成社は1916年の総会で、依田一族の人間以外が全て退社し、事実上の解散となっていました。

依田善助が依田牧場を始めた翌年、1925年に勉三はなくなり、晩成社は所有していた牧場や農地をほとんど失ってしまいました。

しかし、それは同時期に計画されていた「拓殖計画」や農地解放などを経て、現在の「農業大国」十勝の下地となっています。

キリスト教と「報徳訓」の開拓精神「ここ掘れワンワン」

ドラマで広瀬すず演じる奥原なつは、開拓民一世の泰樹から「開拓者精神」とともに人生で大切なことを学んで行きます。

そもそも依田勉三はケプロンや札幌農学校の一期生たちの報告書を知り、感銘を受け、十勝に感じる無限の可能性や、国の発展のためという大きな志のもとに十勝開拓を決意しました。

そして、その勉三の精神を作ったのは、幕末、維新の時代背景や、「経世済民」の二宮金次郎(尊徳)、実業家だった兄、恩師として尊敬していた会津藩士・西郷頼母、当時大きな影響を受けた福沢諭吉、そして、幹部の鈴木銃太郎、渡辺勝らと出会ったワッデル塾などがありました。

中でもワッデルのもとでキリスト教の洗礼を受けており、「父母の根元は天地の命令にあり、身体の根元は父母の生育にあり・・・」で知られる「報徳訓」などとともに、キリスト教もまた病弱だった勉三の精神を強く鍛え上げたものでした。

しかし、そんな開拓の先導者も最後には全てを奪われ73年の生涯を終えます。

最後の妻だったカネはおよそ50年の晩成社の「役割」をこう振り返ったと言いいます。

〜以下こちらから引用〜

私共は犬の役をかっでて『ここ掘れワンワン』的に宣伝に努めました。犬は事業には直接関わりはなく、その宣伝で集まった後進の人々は成功しています。犬は犬だけの使命を果たしました

〜引用終わり〜

このように晩成社としては何もかもを失うことになりましたが、十勝の歴史を見たとき、それはとてつもなく大きな働きをした存在でした。それが数十年数百年後の人たちが豊かに暮らすことのできる場所となれば、あの世でも喜びの中に居られるのではないでしょうか。

そんな十勝の中心的な開拓者依田勉三、実は北村一輝主演で映画化もされています。

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この映画は、第38回ヒューストン国際映画祭でグランプリ受賞作として海外でも高く評価されています。

そして、移民というところでは、淡路島の稲田藩の移住を描いた映画「北の零年」も、「映画」としてデフォルメされてはいるものの、当時の
空気を知ることのでき、大きな希望と絶望が強烈に入り混じる当時の開拓者にしかわからない想いが描かれている作品です。

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