広瀬すず【なつぞら】なつが暮らす柴田家の十勝と北海道の歴史。アイヌとコロポックルは同じ!?

2019年4月から放送の朝ドラ【なつぞら】

主演はセブンティーンモデル出身で若手演技派女優として人気の広瀬すず。

その役は戦争で両親を亡くし、のちにアニメーターとして大成する女性。

朝ドラ100作目であり、99作目のヒロイン発表より前に発表となる異例の早期発表でも話題になりました。

ここでは、広瀬すず主演朝ドラ【なつぞら】の舞台となる「十勝」の歴史をアイヌやコロポックルというキーワードとともに紹介しています。

十勝ってどこのこと?ロケ地新得や陸別始め、帯広市、清水町など

十と勝で「十勝」

「スライスチーズ」のCMなどから、「チーズ」のイメージの強い十勝ですが、十勝というのは「市」でも「町」でもなく、地方のことを指す言葉です。

正確には行政が管理するさいの「十勝総合振興局」が管轄する18の市町村のことを言います。

その中で唯一の「市」であるのが帯広市で、ドラマでなつが住むことになる牧場の頑固爺さん「柴田泰樹」のモデル依田勉三がその開拓に大きく関わった土地です。

ドラマのロケ地として北海道編に登場するのが、十勝の北の西側にある新得町と、東側で十勝の最も北に位置する陸別町です。

十勝の名前の由来は「怨念」!?

十勝のウィキペディアなどでは、十勝の語源はアイヌ語で「流れ出る乳」を意味する「トカプチ」とされ、十勝川の河口が乳房のように二つに分かれていたのが由来とされています。

しかし、依田勉三の日記にはまた違った十勝の名前の由来が書かれていました。

依田勉三が30歳の時、勉三の弟・文三郎がアイヌの子供から聞いた話として以下のように言われています。

〜以下こちらから引用〜

・・・十勝の語源は「トカップ」で、意味は「お前らも魚の皮が焦げるように炙られて、焼け焦げるような運命に遭え」と、いうのだという。太古、アイヌは日本全国各地にいた。そこへ戦い好きな和人が勢力を伸ばし、九州や北海道へと追い詰めた。

そのころ、北の住人はコロポックルという小人の国であった。

コロポックルの意味は《蕗の下に住む小人》というのだという。 今度は、アイヌの人たちがコロポックルを追う番になった。逃げ場を失ったコロポックルは、十勝川に身を投げ溺れ死んだ。溺れながら、発したのが「トカップ」なのだ。 だから呪われた土地だ・・・

〜引用終わり〜

日本全国にアイヌがいて、日本列島にやって来た「和人」が彼らを徐々に北へ北へと追いやった。その最中、北に追いやられたアイヌが、もともと北海道の地にいたコロポックルを追いやった。その時にコロポックルが十勝の地で言い放ったのが「トカップ=十勝」だったそうです。

さらに十勝をは江戸時代「戸賀知」とも呼ばれ、江戸幕府にとって金が採掘できる「砂金地」として知られていたそうです。

〜以下こちらから引用〜

砂金地「戸賀知」蝦夷地交易図蝦夷地交易図当時資源を持たない松前藩は、砂金採掘による財源確保を始めた。その後、和人地での枯渇と、東蝦夷での鉱脈発見情報とが重なり、寛永10年(1633)には、日高へと東進した。

さらに、ゴールド・ラッシュは猛スピードで山脈を越え、寛永12年(1635)には、戸賀知(十勝)に達したのである。江戸期の文献「松前旧事記」に「戸賀知」と記されての「十勝」の本格的登場は、もっぱら、和人経済圏へ供給する砂金地としてであった。

戸賀知では、紋別川(大樹町)、そして歴舟川(大樹町)と、延べにして20ヵ所の砂金地が所在し、多くの鉱夫が馳せ参じたのであった。他方、先住者にとって、砂金地戸賀知の出現は、川床を掘り返され、水路を変更され、さらに漁労を妨げられるなど迷惑そのものであった。

〜引用終わり〜

そんな十勝のコロポックルやアイヌ、そして和人と言われる北海道に入っていった日本人はどのような歴史を歩んできたのでしょうか。

十勝と北海道の1000年とアイヌとコロポックルの正体

北海道の地では、初の女性天皇や聖徳太子らがいたことで知られる「飛鳥時代」の始まりの7世紀ほどから、「刷毛」を使った模様の土器が多く出土したことから命名された「擦文文化(さつもん)」というものがありました。

その後、東北から北海道あたりを藤原氏が支配し始め、1189年に藤原氏滅亡後に重罪人が送られる流刑地となり、1200年頃からは交易商人、漂流者が北海道へ集まります。

この頃中国ではアイヌの同族同士の内紛に元軍(中国軍)が出兵したという歴史書の記述もあります。

1000年ごろに日本にいた三つのグループ。渡党・日の本・唐子

同時期の日本列島にはどんな人たちがいたのかというと、鎌倉時代の終わり、14世紀中期の「諏訪大明神絵詞」に、蝦夷地に渡党(わたりとう)・日の本(ひもと)・唐子(からこ)の3グループがいるという記載があります。

この前後から「アイヌ文化」が起ったと言われ、1500年頃には、アイヌ民族と、京都周辺を中心とする和人が度々戦いました。この頃アイヌは中国やロシアとも交易を持ち、日本人もそれらを通して、外国のものに触れていたと言います。アイヌは漁業、狩猟、交易で生活をしていたそうです。

このような歴史の中で、アイヌがコロポックルを北海道の地から追いやり、そこで「十勝」という名前が生まれました。

しかしこのコロポックルとアイヌ、実は両方とも「アイヌ」であるとも言われています。(そのほかこちらも)

アイヌの中でも本土から北上して来たアイヌと、もともと北海道の地で漁労を中心に生活していたアイヌ(コロポックル)が何かしらの理由で仲違いし、本土側のアイヌがコロポックルを「小人」とバカにした挙句に北千島まで追いやったようです。

北千島といえども、ロシアカムチャッカ半島がすぐ目の前で、日本とは非常に遠い地域、ほぼ外国です。

その後1960年代にはコロポックルの正体である千島アイヌ(クリル人)の文化は絶滅したと言います。

幕末黒船来航のあと。蝦夷から北海道へ

こうして江戸時代を経て、1853年の黒船到来により、函館と下田港が開かれます。これにより、蝦夷地の「和風化政策」が取られるようになりました。

明治維新前夜の幕末には松浦武四郎が北海道(当時は蝦夷)を視察し、明治2年1869年に蝦夷地から「北海道」と名前を変えました。

その後十勝には静岡藩と、田安家、一橋家が入り、移民団として最初と言える一団が、静岡から「大津」に入りました。この一団は北海道の厳しい環境に適応できずすぐに帰ったといますが、この大津は、柴田牧場のモデル「晩成社」の依田勉三も頻繁に通った交易や交通の要所で、勉三はここの「長」の娘を養女として受け入れるということもしています。

このように見ると和人と言われるいわゆる日本人が、アイヌたちの地を略奪したようにも見えますが、アイヌもまた同族のコロポックルと争った過去もあり、今ではアイヌ文化として日本の中でも特殊な位置付けを持つことになりました。

そしてドラマの主人公である広瀬すず演じる「なつ」は日本人が開拓に入りおよそ50年ほどが経ち、ようやく十勝の地が現在の「農業大国」となるその芽生えの時期に十勝にやって来ます。

なつが北海道にいた戦後10年の1946年から1955年に十勝も農業大国になるべくインフラの整備や農業のあり方が変わった時代でもありました。

開拓民一世が苦心した開いた土地で酪農に携わり、のちにアニメーターとなる主人公は、このような歴史の中に入っていると考えると非常に見応えのある朝ドラとなりますね。

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