NHK【なつぞら】アニメーション編登場人物のモデル。広瀬すずと中川大志の恋愛も描かれる?井浦新演じるマンガの神様はあの人!

2019年4月から放送の朝ドラ【なつぞら】

主演はセブンティーンモデル出身で若手演技派女優として人気の広瀬すず。演じるのは戦争で両親を亡くし、のちにアニメーターとして大成する女性です。

朝ドラ100作目であり、99作目のヒロイン発表より前に発表となる異例の早期発表でも話題になりました。

ここでは、広瀬すず主演朝ドラ【なつぞら】の登場人物のモデルとなっている実在のアニメーターなどをご紹介しています。

アニメの戦後10年となつ(広瀬すず)の年齢

まずはじめに、お伝えしておきたいのは、広瀬すず演じる主人公 なつ が上京した1955年頃のアニメ界はどんな様子だったのかです。

これを知っておくことで、ドラマをより深く楽しめるはずなので、簡単に年表にまとめました。

1932年|世界初短編カラーアニメーション「花と木」(原題:Flowers and Trees)がディズニーにより公開。この頃の日本では木村白山による、日本初のアダルトアニメ「すヾみ舟(すずみぶね)」制作。
1937年|世界初長編カラーアニメーション「白雪姫」(原題:Snow White and the Seven Dwarfs)がディズニーにより公開。奥原なつ(広瀬すず)誕生。
1941年|松竹動画研究所 設立
1945年|「桃太郎 海の神兵」公開(制作:松竹動画研究所)
1948年|日本動画 設立(森康二、木下としお、大工原章、福井英一、大工原と福井の妻などが働いている)
1952年|大藤信郎 監督作「くじら」がパブロ・ピカソに絶賛される
1953年|テレビ放送開始
1955年|世界初のステレオ音声カラーアニメーション映画「ファンタジア」(原題:Fantasia)がディズニーにより公開。なつ(広瀬すず)18歳で上京。
1956年|東映動画 発足(大塚康生 入社)
1957年|奥山玲子、中村和子、永沢まことなど入社。日本で国産初のカラーテレビ発売→家電の昭和史テレビ
1958年|日本初の長編カラーアニメーション映画「白蛇伝」公開(大田朱美、保田道世、相磯嘉雄など入社)
1959年|高畑勲、小田部羊一など入社
1960年|「西遊記」公開。テレビアニメ量産開始
1961年|第一次労働闘争
1963年|宮崎駿 入社。「鉄腕アトム」放送開始
1971年|第二次労働闘争 高畑勲、小田部羊一、宮崎駿「東映動画」を退社

この時代の特徴として、テレビや映画の「カラー化」と、1960年代から激しくなる「労働闘争」という部分が、大きなトピックですが、果たして朝ドラ「なつぞら」では、どこまで描かれるのでしょうか。

次に、「東洋動画」のモデル「東映動画」についても、ご紹介します。

アニメーション編のなつの職場「東洋動画」のモデルとは

上で説明したように、作中、主人公が働くアニメーション制作会社「東洋動画」のモデルは、現在は東映アニメーションとなっている、「東映動画」のようです。しかし、登場人物にはっきりとしたモデルがいるわけではないと公式でも発表されているようなので、この時代のアニメーション界を象徴するものが「東洋動画」だと見るのがいいようです。

戦後に100人規模で発足した「日本動画社」などのアニメーション会社を東映が買収して「東映動画」が誕生しました。「東洋のディズニー」を目指すという目標を持っていた会社でしたが、これを初めに言ったのは東映の営業課長だった今田智憲と言う人物でした。

今田智憲のこの口説き文句に乗ったのが、東映の社長大川博でした。大川博はもともと「東急」の人間で、そこから派生したのが「東映動画」です。

そして、そこに朝ドラ「なつぞら」の井浦新や小手伸也ら、なつの指導にあたったアニメーターが働き、日本初の長編総天然色漫画映画(長篇カラーアニメーション)である「白蛇伝」を製作しました。

大川博は東急からの出向だったようで、つまり、東映も、東急グループだったようです。のちにこのグループは、野球チーム「日本ハムファイターズ」や「テレビ朝日」の発足や経営に深くかかわりました。

そして、これらのアニメーターが、どういった人たちなのかといえば、関東軍が中国大陸で戦っていた「満州」から引き上げた、元「満州映画協会」のスタッフだったようです。

その中には、2018年に引退した安室奈美恵などを輩出したアクターズスクールなども手がける「マキノプロダクション」一族のマキノ光雄や、浅草六区に初めての劇場を設立した会社社長の甥っ子で、当時の映画興行界で活躍した根岸寛一らがいました。

「東洋動画」の登場人物のそれぞれのモデルとなる実在の人物とは

アニメーション編の登場人物の名前が発表されてから、ネット上ではそのモデルが誰なのかと様々に憶測が飛び交っています。

先ほども言ったように、明確なモデルがいると言うよりは、この時代のアニメーターを「モチーフ」にしたと言うことなので、「この登場人物が宮崎駿だ」と言えるものではないようです。

それを考慮した上で、登場人物の名前を元に、モデルとなる実在のアニメーターと思しき方を簡単にご紹介していきます。

広瀬すず演じるなつのモデルは「奥山玲子」と「中村和子」「近藤喜文」?

宮崎駿がちょい役メガネ高校生で出る可能性も示唆されていますが、、、、

広瀬すず演じる主人公のモデルと思われる方には、中村和子や奥山玲子がいます。(以下画像出典:Anipages )

中村和子
奥山玲子

その理由はともに「女性アニメーターのパイオニア」と言われている方だからです。

特に奥山玲子が「パイオニア」と言われる理由があります。

当時、井浦新演じる仲務のモデル「森康二」と小手伸也演じる井戸原昇のモデル「大工原章」は、それぞれに作品に対するアプローチが違っていたために、「派閥」のようなものができていたそうです。

しかし、その両方から仕事を請け負っていたのが、奥山玲子でした。どんな要求にも応える力量を持っていたと言えるのかもしれません。ちなみに、奥山玲子は幼少期病弱だったと言われているので、そんなところもヒントになるかもしれませんね。

もう一人挙げた、近藤喜文は、高畑勲と宮崎駿が奪い合うほどの実力の持ち主だったと言われており、有能なアニメーターとして、主人公のなつに、その要素が加味される可能性もあります。

中川大志演じる坂場一久のモデルは「高畑勲」「小田部羊一」

なつと同世代の登場人物として中川大志が演じる「坂場一久」がいます。数字の「一」が入っていることから、のちに、奥山玲子と結婚する小田部羊一がそのモデルとして濃厚です。

小田部羊一は、「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」などのアニメ作品に携わったのちに任天堂に入社し,マリオやポケモンなどのキャラクターの監修を担当している方で、今作のアニメーション 時代考証にも参加されています。

高畑勲が、この人物のモデルとなりそうなのは、以下で説明する宮崎駿と「ウマが合う」と言う設定から来ています。

染谷将太演じる神地航也のモデルは「宮崎駿」「近藤喜文」

宮崎駿と高畑勲が争奪戦を繰り広げたと言われる近藤喜文は、「そらいろのたね」「耳をすませば」などで監督を務めている方です。1998年にすでにお亡くなりになっており、47歳の早すぎる死去が、アニメ界から悔やまれました。

染谷将太演じる神地航也は坂場一久(中川大志)と、なぜか馬が合うと言う設定なので、のちに労働闘争ののちに東映動画を退社する、小田部羊一と宮崎駿と高畑勲、そして、近藤喜文が、この二人の人物にミックスされているようです。

ちなみに、近藤喜文は、麒麟川島演じる下山のモデル「大塚康生」の最初の教え子でもあったそうです。

渡辺麻友演じる三村茜のモデルは「大田朱美」「近藤浩子」

同じく、なつと同年代の女性アニメーターとして三村茜(渡辺麻友)がいますが、この人物のモデルはのちに宮崎駿の奥さんとなる大田朱美の可能性が高いです。

東京と埼玉の境に広がる狭山丘陵の「トトロの森」などでナショナルトラスト運動を推進する財団にも関わり活動している方です。

そして、近藤浩子は近藤喜文の奥さんですが、この方々がミックスされている可能性があります。

伊原六花演じる森田桃代のモデルは「保田道世」

森田桃代(伊原六花)のモデルと思われる保田道世は、実際の「ニックネーム」からも、非常に似通っているようです。

さらに、「セルの色彩を担当している」と言う設定も、のちにジブリ作品のほとんどの色彩設計を担当される保田道世がモチーフになっていることの証拠と言えます。

麒麟川島演じる下山のモデルは「大塚康生」

「元公務員でひょうきんで明るくてディズニーの作画を独自に分析して後輩の面倒見が良い 」と言うわかりやすい特徴から、ネット上で話題になっていたのが下山克己(麒麟川島)でした。

大塚康生は東映動画アニメーターの第一期生で、宮崎駿の指導育成に当たった方です。なつ(広瀬すず)たちよりも上の世代の人物です。

他にもこれまで紹介した小田部羊一、近藤喜文の他に、杉井ギサブロー、月岡貞夫、芝山努、田中敦子、椛島義夫、うつのみや理、貞本義行、田中達之、板垣伸などを指導したことで知られていますが、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名で、タミヤの初代社長の息子との縁で、ジープ型ラジコンカーのデザインを手がけたりと、アニメーター以外の活動もしていました。

「アニメーターは演技者である」と公言され、最近の止め絵ばかりのアニメにも苦言を呈することが多いそうです。

井浦新演じる仲務のモデルは「森康二」

なつの職場「東洋動画」のリーダーで「師」と仰がれているの仲努(井浦新)のモデルは、「アニメーションの神様」とも言われる森康二です。

森康二は大工原章とともに、指導役東映動画の作画部門を牽引した、発足当初から在籍する「レジェンド」といったところ。

当時は、髭を生やして一見近寄りがたい風貌でしたが、実はすごく照れ屋で優しい性格だったと言われています。

貫地谷しほり演じる大沢麻子のモデルは「中村和子」

そんな仲努(井浦新)を支える人物が貫地谷しほり演じる大沢麻子です。

主人公なつ(広瀬すず)のところでもご紹介しましたが、女性アニメーターのパイオニアと言われる方で、ここまでご紹介してきた中で、日本初の長編アニメーション映画「白蛇伝」に参加し、クレジットされているのは中村和子だけです。

1984年の「風の谷のナウシカ」以降、スタジオジブリの劇場作品の色彩を担当され、押井守監督からは「強烈なおばさん」とも称されるています。

東洋動画の作画部門の「まとめ役」と言うことからも、運営のリーダーシップは、大沢麻子が握っているようですが、実際の中村和子も「気骨」の強い方だったようですね。

小手伸也演じる井戸原昇のモデルは「大工原章」

名前がとても似ていることからすぐにわかるのが、手伸也演じる井戸原昇のモデル「大工原章」です。

仲努(井浦新)とともに、なつ(広瀬すず)たちを指導する立場で、仲努とは対照的な人物です。「わんわん忠臣蔵」や鉄腕アトムの後継作品の「ジェッターマルス」なども手がけた方でした。

角野卓造演じる大杉満のモデルは「大川博」

主人公なつ(広瀬すず)が、帯広の映画館で見た大杉社長のメッセージが、なつをアニメへと向かわせたと言う設定ですが、上で少し紹介したように、角野卓造演じる大杉満のモデルは東急から出向してきたら「大川博」です。

名前もそのままですね。

「鉄道省の役人から東急の専務、そして東映の社長へと叩き上げ」と言う大川博ですが、彼が推し進めた日本初のアニメ映画「白蛇伝」の企画には、作家の赤川次郎の実父である、教育映画部の赤川孝一も参加していました。

大川博は先ほどもご紹介した通り、野球界とテレビ業界にも深く関わっていたじ方です。

  • 日本経済団体連合会常任理事パ・リーグ会長
  • 日本映画産業団体連合会会長
  • 映倫維持委員会常任委員会委員長
  • 中央大学理事長
  • 中央大学学員会会長
  • 東横学園理事長
  • 日本教育テレビ(現・テレビ朝日)初代会長、2代目社長

木下ほうか演じる露木重彦のモデルは「藪下泰司」

そんな日本初のアニメーション映画の初の監督として起用されたのが木下ほうか演じる露木重彦で、彼のモデルは藪下泰司のようです。

1945年以前は、松竹を経て、文部省の映像製作部門で「ツェッペリン号(飛行船)」の映像などの記録映画を製作した方で、戦後に創立された「東映動画(のちの東映アニメーション)」で働くようになりました。

1967年の「ひょっこりひょうたん島」の失敗を機に、演出を退いてしまったと言うエピソードもありますが、お孫さんのGEN TAKAHASHI(高橋玄)も、映画監督として活躍されています。

まとめ

以上、それぞれの登場人物のモデルと足早にご紹介してきましたが、簡単にまとめると、森康二、大工原章、楠部大吉郎、中村和子、大塚康二など世代のアニメーターが、井浦新、小手伸也、貫地谷しほり、麒麟川島で、

その下の世代に宮崎駿や高畑勲、近藤喜文、小田部羊一、保田道世、大田朱美らがいて、それらをミックスしたのが、広瀬すず、渡辺麻友、伊原六花、染谷将太、中川大志と言う風に見ると、スッキリとします。

他にも、広瀬すずの演じる世代には明治製菓のカールおじさん、ケロ太などを生み出した「ひこねのりお」、のちに「鉄腕アトム」の原画と演出を担当する「紺野修司」、そのほかにも坂本雄作、月岡貞夫、永沢まこと、林静一、杉井ギサブロー、相磯嘉雄など数々のアニメーターが在籍していました。

奥原なつ(広瀬すず)と坂場一久(中川大志)、そして、三村茜(渡辺麻友)と神地航也(染谷将太)などの「恋愛」も描かれる可能性があるので、実際の関係を知っておくと何倍も楽しめるのではないでしょうか。

2 件のコメント

  1. >今日(9月10日)は、「カラーテレビ放送記念日」
    >1960(昭和35)年のこの日、NHK・日本テレビ・ラジオ東京テレビ(現在のTBS)・
    >読売テレビ・朝日放送の5局がカラーテレビの本放送を開始した 。
    とあるように、カラーテレビが日本国内で初めて本放送されたのは
    1960年の9月10日のことであり、貴WEB頁の年表の1957にカラーテレビが普及という
    記事は事実を誤認しています。

    1. ご指摘ありがとうございます。
      失礼いたしまいた。
      国産初のカラーテレビ「発売」と
      ご紹介したいところを「普及」としていました。
      訂正いたしました。

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