朝ドラ【なつぞら】キャスト登場人物【東京新宿&アニメーション編】広瀬すずの幼馴染に工藤阿須加 咲太郎の消息を知る女将に山口智子

2019年4月から放送の朝ドラ【なつぞら】

主演はセブンティーンモデル出身で若手演技派女優として人気の広瀬すず。その役は戦争で両親を亡くし、のちにアニメーターとして大成する女性。

朝ドラ100作目であり、99作目のヒロイン発表より前に発表となる異例の早期発表でも話題になりました。

ここでは、広瀬すず主演朝ドラ【なつぞら】の【新宿編】のキャストとあらすじを紹介しています。

これまでの発表ごとに北海道編、東京編、アニメーション編それぞれの相関図を作りました。

◯連続テレビ小説「なつぞら」東京・新宿編 相関図 (第1版)

◯連続テレビ小説「なつぞら」アニメーション編 相関図(第1版)

連続テレビ小説「なつぞら」北海道十勝編 相関図(第3版)

Contents
  1. 登場人物 キャスト|東京新宿編
  2. 登場人物 キャスト|アニメーション編
  3. 東京新宿&アニメーション編 全キャスト登場人物一覧
  4. あらすじ|東京 新宿&アニメーション編
  5. 放送情報

登場人物 キャスト|東京新宿編

奥原なつ/坂場なつ 広瀬すず

高校卒業を機に東京新宿へ上京。アニメーターを目指して同郷のウェイトレス・佐知子と同居し暮らしてる。同時に、なつが北海道へ行く前に生き別れとなった消息のわからない兄・咲太郎と妹との再会を夢見ている。|1956年6月に東洋動画スタジオ仕上課に就職。許仙が好きなだけなのに周りから邪魔される白娘の気持ちを、泣き伏す前に怒りの表情で空を見上げるように表現する。作画課には採用から半年かけ2ヶ月ごとに試験をし、合格したものだけが動画の仕事をする仕組みがあり、なつは、特別に最後の試験を受けるが不合格。試験で描いた枚数は試験者の中ではトップの30枚。しかし清書された絵は13枚。自分が描きたいイメージに自分の手が追いついていかないと、自分の力の限界を悔やむ。年始のお参りは新宿の花園神社。1957年1月ころ「当分、北海道には帰れません。帰りません。私を応援して送り出してくれたみんなに、送り出してよかったと胸を張って今の自分を感じてもらえるまでは。私はここで、おいしい牛乳を絞れるように、自分を育てていきたいと思っています。十勝に帰りたい、みんなに会いたい。だけど、今は、振り返りません。私は、ここでいきていきます。」と天陽への手紙に、自らの決意を伝える。東洋動画に就職してから最初の一週間は亜矢美がコーディネートしていたが、それ以降は自分で服を選んでいる。服装を見た野上に「どんどん安っぽい芸術家みたいになっている」と言われる。誕生日は8月15日。千遥にもなつにとっての富士子のような人がいることを信じ、兄と話し合った末に警察に千遥の捜索願を出す。「わんぱく牛若丸」では大沢麻子(貫地谷しほり)、三村茜 (渡辺麻友)、堀内幸正(田村健太郎)とともに下山克己 (川島明)が原画を担当する下山班に所属する。「鵯越の逆落とし」を知ったかぶりをする。漫画映画「わんぱく牛若丸」で馬と牛若丸が坂道を降りるシーンの動画を担当し、階段から落ちそうになったことをきっかけに、馬が足をバタバタを動かすことを表現するために「馬の前脚を四本描く」と言うことで解決する。坂場と話していると自分が崖っぷちに追い詰められていると感じるため、坂場に好印象を持っていない。1959年5月、20分弱の短編映画に坂場と麻子とともに企画から演出から原画を担当する。1963年の夏で北海道を出て7年。長編映画で初めて原画を担当した女性アニメーターとして週刊誌「週刊文夏」に特集が組まれ取材を受ける。社内では坂場と交際していると噂が出ていて、お互いに好意を抱いているが、仕事が一緒にできているという部分で違いが満足しているので特に進展はない。「神をつかんだ少年クリフ」の制作前、1965年春に坂場からプロポーズを受けて、”やっぱりそうなるべきなのかなぁ”と感じ結婚を決める。キアラのキャラクターデザインを担当するが、坂場の要求を理解できずキアラを描くことはできなかった。坂場となつは制作現場において”お互いにギャフンと言わせられていた”関係。「アニメーションの本質は、ありえないことを本当のように描くこと」という坂場の言葉と生きる力に恋をしたと気づき、結婚を決意していた。才能を活かせなければ結婚はできないという坂場にショックを受けて会社を休んでしまう。1966年、坂場とともに結婚報告のために十勝へ帰郷。田辺組合長から依頼を受け、牛の顔の真ん中に「T字」に配置されたたんぽぽが描かれたロゴマークを考案。「たんぽぽバター」の商標として採用される。1967年春、たんぽぽの咲く季節に夕見子と共に結婚式をする。10年暮らした「風車」から引っ越し、1967年秋から荻窪で新たな生活を始める。職場では結婚後も旧姓の「奥原なつ」のまま仕事をする。この歳の誕生日、千遥を思い出し寂しさを感じる。子供を産むこと大変さを痛感するなか1967年の秋、貧血を起こしたことをきっかけに病院に行った際に妊娠三ヶ月だと判明。会社からそれまでと同じだけの仕事を求められなくなることが一番苦しいので、育児中でも同じ社員として働きたいと願い出る。仲や神地をはじめとするアニメーター達の後押しを受けて、産休後も社員として働くことになり、その上、テレビ班初の女性作画監督として山川社長から指名される。1968年春に娘「優(ゆう)」を出産。出産後六週間で「魔法少女アニー」の原画に復帰。優が一歳になる1969年春に保育園に応募するが落選する。出産の時、子牛の出産を思い出して笑う。優が1歳になった頃から東洋動画で「キックジャガー」「魔界の番長」の作画監督を担当。1974年3月に「マコプロダクション」へ移籍。このとき、坂場一久(中川大志)、大沢麻子(貫地谷しほり)、下山克己 (川島明)、森田桃代(伊原六花)、神地航也(染谷将太)がマコプロに所属している。開拓者が苦労して手に入れた卵を食べるシーンが、原画の段階で美味しそうに見えないため、実際に目玉焼きを作って研究する。完成したシーンが視聴者から好評を得る。

坂場一久 中川大志

東洋動画所属の監督見習い。絵は描けないが、アニメの知識は人一倍多く、企画力に優れ、思いもよらないストーリーを考えつく。その一方で要領が悪く、無理難題を言って、アニメーターたちをいつも困らせる。なつも初めは苦手意識を感じるが・・・。露木監督の演出助手として「わんぱく牛若丸」から東洋動画で働くようになる。カチンコが片手でできない、カレーパンを読んでいた本に落とすなど手先が不器用。東大卒で哲学を専攻し、英語の洋書をよく読んでいる。なつは陰で”カチンコくん”と呼ぶ。(登場シーン、特に洋書を読んでいるときにBGMとしてバロック音楽がかかる。)。アニメーションは大人にも夢を与えるものだと思ったからアニメーションの世界に入った。フランスのアニメ作品で、アンデルセンの童話を元に戦争を描いた作品があり、ナチスのような独裁から自由になれるという物語を子供が見てもワクワクできるように描かれていたことから、アニメの持つ表現力に可能性を見出していたが、まだ世の中ではそのことに注目されていないと感じている。「現実にはあり得ないことでも、観客に明確に伝わるようなことができること」がアニメーションにしかできないこと、本質だと思っている(どんなにあり得ないこと・大きな嘘でも本当・真実を描き出すことができる)。1959年5月、なつ、麻子とともに作る短編映画の演出を担当。この頃、愛称が「イッキュウ」になる。父は大学教授。テレビ漫画「百獣の王子サム」が演出家デビュー作となる。露木の下につく他の演出家は出世する中、労働組合の幹部などをやっていたため東洋動画内での評価が低く、なんでも理屈で考えるため、芸術家肌のアニメーター達からも煙たがられていた。中学まで神戸で暮らしていた関西人だが声は小さい。問題点を先にあげつらうので、嫌な思いをさせることをなつに注意され素直に認める。亀山蘭子の芝居は見逃せないと「かもめ」を鑑賞しにいく。隣の席はなつ。東洋動画内でなつとの噂を一切否定しなかったのは、いずれ結婚するつもりだったためで、長編映画の演出ができたらなつにプロポーズしようとしていた。理想を描くために、自分自身を超えたいと思っていて、それをアニメーターにも要求する。なつから、仲の絵を見せられ、仲が誰よりも自分を超えたいと思い仕事をしているアニメーターだと気づく。父は考古学を教えている大学教授。母は師範学校での元教師。二人の兄は田舎の医者と国選弁護士。姉は教師。なつの”才能”を「結婚することとしないこと」の基準にしていたことで、なつを傷つけたことに気づき、大切な人を失った恐怖を感じ、なつと同じ気持ちになってなつが好きだと気付き、改めてプロポーズする。「どうか結婚してください。もう一緒に漫画映画は作れないかもしれないけど、あなたの人生を作ります。一生かけて一緒に作ります。必ず傑作にします。僕と結婚してください。」なつの返事は「はい。喜んで。」咲太郎からの忠告は「なつを幸せにしろよ!不幸にしたら、絶対にゆるさねぇからな。覚えとけ!(この言葉は、9歳のなつを孤児院から北海道に引き取った剛男に言った言葉と同じ)」北海道に行きなつと行動を共にする中で、十勝の大地に吹く風のように、”なつが生きてることそのものの力”が、なつの持つ”絵を動かす力”であると深く実感する。父の話には一切興味を示さない。なつと結婚後の1967年頃、出版社に勤める大学時代の知人から翻訳の仕事を請け負い、家事をしながら家で仕事をしている。富士子の料理ノートを参考に料理を作る(シチューには二時間かかった)。料理をする際に指を切ることには慣れてくる。「子供ができた以上は、産まないという選択肢はないだろ、僕たちに。君が母親になるってことに比べたら、仕事を辞めるかどうかということはとても小さなことだ。産むと覚悟を決めて仕事のことを考えればいい。一緒に考えよう。たとえ契約になったとしても仕事を続けたいなら、好きなだけ続ければいい。それでもし会社がその後の君の仕事を認めれば、次から他の女性も働きやすくなるだろ?子供を育てながらアニメーターを続ければ、そういう戦いにもなるんだ。君がその道を作るんだよ。そういう開拓精神が、君にはあるはずだろ。一緒に頑張ろう。な。」1966年8月の「神をつかんだ少年クリフ」を機に東洋動画を退職したのちは自宅で翻訳の仕事をし、なつが優を出産する直前に「マコプロダクション」へ誘われるが、優が一歳になって保育園が見つかるまでは翻訳の仕事を続ける。茜に子育てを習いに行っていた。仕事ではアメリカのペーパーバック小説も翻訳していた。1969年4月から「マコプロダクション」に勤務するようになり、アニメーション界に復帰。1975年頃は連日「マコプロ」に泊まり込み、放送日に家に帰るという生活が続いていた。なつの兄姉妹の話をアニメ映画にしたいという構想は、19年後(1994年)に叶えられる。両親から百科事典を贈られる。

坂場優 増田光桜(4歳以降の優)

なつと坂場の娘。1968年6月1日誕生。なつのように優しい子供になって欲しいという願いから、泰樹によって「優(ゆう)」と命名される。生後三ヶ月検診でも問題なし。5歳の頃「自分の幸せは自分で決めなさい!」と父親を叱る。色のセンスは母親のなつに似ている。千遥が母の妹であることは内緒と言われちゃんと守る。1975年4月から小学校一年生。

奥原咲太郎 岡田将生

なつの兄。歌とタップダンスが大好きな陽気な兄。両親を亡くしてからも、妹のなつと千遥(ちはる)の親がわりとなり、笑顔を絶やさず懸命に育てる。なつを柴田家に、千遥を親戚に預けた後、しばらく孤児院で過ごすが、家出して行方不明となる|亜矢美のことを「母ちゃん」と呼ぶ。かつて北海道の妹・なつに会いたいと孤児院から逃げ出して新宿の闇市(マーケット)で靴磨きをし、他の靴磨きの少年達からボコボコにされていたことろを岸川亜矢美(山口智子)に拾われに助けられ、その後、藤正親分に世話になる。その後、亜矢美のステージを見て感動し、「ムーランルージュ新宿座」に出入りするようになり新宿で生きていく決心する。踊る希望を失っていた亜矢美にとっても、咲太郎との生活は希望となったが、それはなつと咲太郎が再会を遠のかせることにもなっていた。閉館までの「ムーランルージュ新宿座」では、モギリや掃除など、裏方の仕事をし、役者や踊り子から可愛がられていた。ストリップ人気に押された「ムーラン」の閉館後は浅草へ流れ、コント芸人コンビの弟子として「浅草六区館」に出入りしている。(本人は全国の劇場を回っているので宿はないと言う)。イカサマ興行師に「ムーランの共同経営者になれる」と言い寄られ10万円の借金を作り、その借金を返済するまでは新宿に戻らないと決意している。その借金の保証人は新宿川村屋のマダム・光子。新劇の劇団「赤い星座」で裏方(制作部)を手伝い、亀山蘭子(鈴木杏樹)の付き人でもある。1956年4月に一万円返済。返済の合計は2万円。赤い星座の演目はチェーホフの「桜の園」など。「ムーラン・ルージュを復活させて、亜矢美に踊ってもらうことが夢。”女の子に限り”同情と愛情の垣根がなく、女の子に勘違いさせてばかりいる。東洋撮影所に出入りしていて、東洋社長の大杉満になつのことをアニメーターにして欲しいと挨拶をする。絵も料理も歌も踊りもなんでも上手くこなせるが、裏方の方が性にあっている。自分の夢を持つようなことはなく、他人の夢のために尽くすことが生きがい。なつが東洋動画の最初の試験を落とされたのは戦災孤児で孤児院にいたことが原因だと思っている。サンドイッチマンをやっている時の客寄せの文句「買ってください、私の真心、売ってくださいあなたのはじらい!今宵花開く夢のひと時、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら、朝まで踊ってください!」愛しいあの子と!さあ、夢のスイートホームへ帰りましょう!」。てんぷらは衣で決まる、粉は優しくかき混ぜなければ上手くできないと、天ぷらの作り方にルールを持っている。父の作った天丼と同じ味の天丼を見つけられず、自分で作るようになる。落語家になるなら「抜け雀」があっていると、「風車」の客(柳家喬太郎)に評される。1957年4月の春公演で「人形の家」を行う。劇団の裏方の仕事だけではマダムへの借金返済はできない。幼少期に入っていた孤児院は「友愛養育院」。「白蛇姫」で白娘を演じる蘭子やテレビ映画「チンチンリー」の日本語の吹き替えをみて、俳優としての新たな可能性を抱くようになる。なつが作画課になった頃、マダムへの借金を完済する。趣味は「話をこじらせること」「外画(外国のテレビ映画)」の吹き替えをする声優を集めた事務所を設立する。声優事務所は役者だけでは食えない役者の受け皿となっている。1959年春ころに事務所に所属しているのは蘭子、雪次郎、レミ子、島貫、松井。1963年の夏頃までに声優事務所を四谷に構える。「かもめ」を鑑賞しにいく。雪次郎が菓子屋に戻ってしまったことは悔やんでいる。1964年1月頃から声優事務所「風車プロダクション」が忙しくなり事務所に寝泊まりすることが多くなっていた。なつの結婚式に参加。「風車」の立ち退きの話を隠していた亜矢美に”頼ってもらおう”としてマダム光子との結婚を決意し、移転先を決めようとしてた。自分の事務所に所属する声優の起用を最優先に考えるのではなく、作品のとって最善の配役を最優先に考えることが、巡り巡って信用になると考えて経営をしている。1975年夏頃、魔女と手下二人が登場するアニメの仕事をすることになる。

奥原千遥 清原果耶

およそ10年行方知らずになっていたなつと咲太郎の妹。1959年5月、柴田牧場を訪れる。五歳で叔母の家を出てから線路をたどっていた時、復員兵に助けられ、その復員兵の「娘」として置屋へ売られる。その置屋の女将・光山なほ子(原日出子)の戸籍に入り養女として育てられ十八歳で立派な家柄の嫁に行くことが決まる。結婚が決まってからなほ子から実の姉・なつの所在を教えられ会いに行く。結婚先が立派な家柄で自分が戦災孤児だと言うことを知られていはいけないため、実の兄と姉と縁を切る必要があり、もし姉が不幸な生活をしていたなら助け、幸せでいてくれたら永遠に別れようと決意し、なつに会いに柴田牧場へ向かった。記憶の曖昧だった兄と姉だったが、実際に電話口で話した時に様々な記憶が蘇り、なつたちと会おうと決めるが直前になり「会ってしまったら別れられなくなる」と感じ、なつと咲太郎が柴田牧場に到着した日の朝に逃げ出す。その後、帯広からなつたちに手紙を書かき事情を説明し思いを伝える。十八歳の頃は置屋で「お酌」と呼ばれる見習い身分。なつ、咲太郎、二人の父がそうであるように絵を描くのが上手い。十八歳の時に柴田牧場を訪れ、何も言わずに東京へ戻った後、神楽坂の料亭「杉乃屋」の次男と結婚。「杉乃屋」の料理人で義理の父にあたる春雄に見初められ料理人として腕を磨き、春雄が開店した神楽坂「杉の子」で女将として働く。清二(渡辺大)との間に千夏(粟野咲莉)を授かるも、清二が他の女性と過ごす時間が多くなり1974年に離婚する。1974年に父(内村光良)が料理人であることを知り、生前に父が書いていた手紙を初めて読む。なつが関わってきた作品はずっと見ていた。離婚を機に、過去のことを全て明らかにして、隠し事をせずに生きていきたいと決意する。離婚後は「奥原姓」に戻る。

奥原千夏 粟野咲莉

千遥と清二の娘。「大草原の少女ソラ」の大ファン。なつのことを小さい時の友達だと教えられるが、のちに実の妹(千夏にとってのおば)だと教えられる。1975年小学生の時点で絵が上手い。両親が離婚するまでは「杉山」を名乗るが、離婚後は奥原姓に戻る。

なつの父 内村光良

第二次世界大戦の際に戦死。日本橋で小料理屋を開く前は、浅草の料亭で働き、そこで女中をしていたのちの妻と出会い、その後に独立。夫婦共々子供の頃に奉公に出された生い立ちから、頼れる人は少なかった。(以下手紙の内容)「咲太郎、なつ、千遥。この手紙を受け取った時には、もうこの世にはいない。だけど、今も一緒にいる。だから悲しむな。やっと父さんはお前たちのそばに戻れたんだ。今、一緒にいるんだ…。」

なつの母 戸田菜穂

東京の空襲で戦死。天丼の出汁とタレを作っていたのは、なつの父ではなく母。その味は、浅草の料亭で夫(内村光良)が教わった味だった。夫同様、子供の頃に奉公に出された生い立ちから、頼れる人は少ない。

岸川亜矢美 山口智子

伝説の劇場・ムーランルージュ新宿座の人気ダンサーとして一世を風靡する。引退後は新宿の路地裏に、おでん屋「風車」を開き、女将として店を切り盛りする。豪傑で明るい人柄にひかれ、多くの常連客が店を訪れる。なつの兄・咲太郎(岡田将生)の消息を知っているらしい。|店名の「風車」は「ムーラン」、店先の暖簾と提灯の赤は「ルージュ」を意味する。雪之助から聞いたなつの事情を大げさにアレンジして咲太郎をたきつけ、咲太郎がなつを連れてくるように仕向ける。佐々岡信哉 (工藤阿須加)のことを咲太郎から聞かさせれていた。闇市で少年たちにボコボコにされている咲太郎を助け、藤正親分に引き渡した。その後、咲太郎とは母と子のように共に生活してきた。マダムが咲太郎に恋していることを疑わず強く確信している。「風車」の二階の三畳の部屋を衣装部屋にしていたが、そこは咲太郎が寝起きすることになる。若手の頃、周りの劇団員からやっかみを受けていた。「かもめ」を鑑賞しにいく。25歳の時、「ムーランルージュ」に通い詰めていた早稲田大学の学生・伊崎に好意を持たれ、伊崎が執筆したレビュー(演劇用語「レビュー」)の台本でソロで踊るようになり、それがヒットし、スターとして活躍するようになる。伊崎と結婚の約束をしていたが、伊崎は学徒出陣でそのまま戦死してしまった。亜矢美は伊崎の才能だけに惚れたのではなく、人間をして好きになっていた。伊崎とムーランルージュを失った戦後は、”痛々しくて見ていられない”ほど生きる気力をなくしていた。その後、咲太郎と出会ったことがきっかけで再び生きる気力を取り戻す。なつと坂場の結婚の話を一番初めに知る。「風車」が立ち退きをすることになり、新たな店舗を茂木社長にお願いして新宿ゴールデン街に見つけてもらうが、咲太郎の結婚を機に、行き先を誰にも告げずに新宿から姿を消す。咲太郎のことを男性として好意を抱いていたが、光子と交際していることを知っていたため、その思いを隠し最後まで”母親”を演じ続けていた。誰にも言わずに姿を消したのは、そうすることで誰かへの嫉妬心を持つことなく、心から咲太郎の結婚をお祝するためだった。咲太郎と暮らし始めた頃、勉強することの重要さを教えて、孤児である悔しさを抱える咲太郎に「母ちゃん」と呼ばせて受け入れた。「風車」から失踪する直前に店で映画「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」を聞いていた。1974年春頃、「雪月」に現れる。7年かけ、九州鹿児島から北海道まで一人旅をしていて、お金を貯めて新宿に戻って店を開こうとしていた。しばらく「雪月」で働くことになる。1975年の夏には北海道を離れ、新宿御苑でおでん屋を再開するため東京の戻る。

前島光子 比嘉愛未

新宿に戦前から続くベーカリー兼カフェ・川村屋のオーナー。その風貌や存在自体に神秘的な雰囲気が漂い、周囲からは“マダム”と呼ばれる。芸術への見識が深く、才能ある若者たちの応援もしている。とある縁で、上京したなつの世話をすることになる。|咲太郎の「夢」を応援しようと、咲太郎の借金の保証人になった。先代のマダム(祖母)の意思を受け継ぎ、新たなことにチャレンジしようとする若者を支援している。祖母はイギリスから追われていたインド人革命家をかくまったことがあり、そのことが縁で”革命の味”川村屋のバターカリーが生まれた。咲太郎を応援するため「人形の家」のチケットを十枚ほど購入する。「川村屋」を辞めて役者になるという雪次郎を引き止められそうにないため、なつに相談する。「かもめ」を鑑賞しにいく。なつと坂場の結婚の話を聞き「もうないかと思ったわ、こんなこと。」とコメント。なつの結婚式に咲太郎とともに参加。1967年40歳のとき咲太郎と結婚。その後はビルの建て替えをすることになっていた「川村屋」の経営を野上に任せ、自らは第一線から退き咲太郎の声優事務所を手伝う。結婚を決める以前から、咲太郎の会社の手伝いをする決まりでいた。

野上健也 近藤芳正

先代のころから川村屋に勤めるギャルソン。若いマダムの後見役で、店の経営を取り仕切る。彼の言葉には常に皮肉とユーモアがあり、いつもニヤニヤと不吉な笑みを浮かべている。 |カレーの発音を「カリー」とこだわる。大正元年(1912年)から川村屋で働き、小僧からたたき上げでフロアマネージャーとなった。苦労は顔に出さない主義。雪之助をよく叱っていた。「落書きが芸術にはならないように、柴田家のバターは川村屋のバターカリーの味にはならない」「漫画映画は見ない」主義。なつとの別れの際に涙を流すが、ごまかす。客として「川村屋」に来店したなつに「いらっしゃいませ」の代わりに「なんだ」と声をかける。雪次郎が川村屋を辞める時の騒動を皮肉とともに「覆水盆に返らず」と表現する。なつの結婚の報告を聞いてひどく動転する。光子の結婚を機に「川村屋」の社長に就任。会社組織として、立て替えた新しいビルで新たなスタートを切る。

茂木一貞 リリー・フランキー

文化発信地・新宿のランドマークとも言える大型書店・角筈屋(つのはずや)の社長。女性とお酒とおもしろいことが大好きで、仕事を終えたあと、夜な夜な新宿界わいを歩き回る。「川村屋」や「風車」もマダムや女将目当てで通っている。|「生き別れになった妹をいつか新宿に呼び寄せる」と咲太郎が言っていたことを覚えていた。川村屋では紅茶を飲む。曰く「新宿に来るとどんな人でも詩人になる。」なつに文句を言う麻子が「自分が男にどう思われているか怯えている」と分析する。「白蛇姫」はなかなか色っぽくてよかったと評価。なつの二十歳の誕生日に翻訳前のディズニーのアニメーターの書いた本と英語の辞書をプレゼントする。声優会社を設立した咲太郎を、これからは放送局が増え、テレビが一家一台の時代になるはずだとして「いいところに目をつけた」と評価する。1964年1月に劇場「角筈屋ホール」を設立する。光子と咲太郎の結婚に大きくショックを受ける。

煙 カスミ 戸田恵子

伝説の劇場・ムーランルージュ新宿座の歌い手。劇場が閉鎖してからは、クラブ「メランコリー」で流行歌を歌い続ける圧倒的な歌声の持ち主。亜矢美とは腐れ縁で、「風車」に通う。 |レパートリーには「リンゴ追分」「ガード下の靴みがき」「夢のサンドイッチマン」など。1956年4月、全ての事情を知りながら、上京したなつと亜矢美を引きあわせる。「コロブチカ(元の曲名はコロベイニキ。邦題:行商人)」の日本語版をなつたちの決起集会で歌う(原曲のロシア民謡の歌詞は行商人カップルが結ばれてライ麦畑で性的な関係をするまでを歌った曲。橋幸夫は「いのちのうた」としてカバー。劇中の歌詞はオリジナル「朝空の大地が、夏の陽差しに燃ゆる ひまわりを揺らして 時を惜しんで歩く 恋しくて通う道 果てなき里の道よ 二人のこの夢は 純粋な歌に似て どーんと晴れやかに 咲いては散りゆくとて 恋して通う道 果てなき里の道よ」)。亜矢美と伊崎の悲恋の話をなつに話して聞かせる。亜矢美が咲太郎に好意を抱いていることに気づいていて、亜矢美が失踪した後に咲太郎となつに亜矢美の本当の気持ちを伝える。「大草原の少女ソラ」の主題歌「大草原の少女ソラ」を担当する。

亀山蘭子 鈴木杏樹

新劇ブームの中で生まれた劇団のひとつ「赤い星座」の看板女優。美貌や演技のわりに、なぜか人気はパッとせず、映画出演の機会にも恵まれない。あるとき、漫画映画に声で出演する仕事が巡ってきて、運命が変わる。|元ムーランの女優で、東洋映画の大杉社長にも顔を覚えられている。脇役でいい味を出しているとして女優として亀山蘭子を知っている。「人形の家」では人形のように育てられ、結婚してからも人形のように扱われていたノラを演じる。「白蛇姫」の白娘(パイニャン)と小青(シャオチン)の声を担当する。「わんぱく牛若丸」の常盤御前役(声)に選ばれ、ライブアクションでは実際に衣装を着て演技する。吹き替えの仕事で訛りを直せなかった雪次郎に「舞台に立つ資格はない」と叱る。男性の大先輩に新劇をやる上では、アマチュア精神を忘れるなと教えられていた。その先輩は移動演劇隊として広島にいた時、1945年8月6日の空襲で命を落とす。「芝居しかない女」と自分のことを考えている。関東プロダクション製作のテレビアニメ「バケモノくん」にキャスティグされる。

三橋佐知子 水谷果穂

疎開中に空襲で両親を亡くし、川村屋の喫茶ウエイトレスとして住み込みで働く、夢見る女の子。十勝から上京してきた、なつのルームメイトとして、東京・新宿暮らしの手ほどきをする。|咲太郎と新宿で強く生きていくと約束し、同志だと思っているので、お金を渡し支援している。育児もひと段落し1974年春頃から「風車プロダクション」で事務の仕事をする。

佐々岡信哉 工藤阿須加

なつの幼なじみ。戦争で家族を失い、なつたちと行動をともにしていたが、生き別れてしまう。その後、苦学して大学に合格するも、なつや咲太郎と再会する日を夢見て、みんなの消息を探す。なつの運命を左右する人物として、ある日、突然現れる。|なつが孤児院に出していた手紙を読み、北海道のなつのところへやっていくる。孤児院を出た後は、働きながら定時制高校へ通い、その後は、新聞配達をしながら夜間大学へ通っている。住まいは新宿の下落合。1956年4月、放送局に就職し、ラジオやテレビでニュースを報道する放送記者として働く。当初は新聞記者を目指していた。放送記者として働き、新人が入ったら必ず行う警察署を回って事件を取材する「サツ回り」をしている。なつの就職祝いに花束をプレゼント。東京上野の迷い子を取材し、ニュースとして報道される。このニュースは、サツ回り(新人記者が必ず行う仕事で、警察署を訪ね関係を築く)をおよそ一年行い、警察官とも顔なじみができたために初めて踏み込んだ取材をすることができたニュース。なつの母のいとこ「とし(なつにとってのおば)」の夫「幸一」が出した年賀状を持つ知り合いから、千遥を引き取ったおば一家が船橋に住んでいることを突き止める。1958年春、帯広に転勤することが決まりなつに報告。1963年の夏、札幌の放送局で働いている。1966年の十勝支庁庁舎での工場設置届出の受け渡しの取材に参加し、のちにテレビでその様子を伝える。1965年に放送局のキャスター・道子(三倉茉奈)と結婚。生い立ちを理解する道子の提案で、札幌で二人だけの式を挙げたため、なつに結婚したことを伝えていなかった。妻とともになつの結婚式に参加。1974年には東京の放送局に勤めている。部下はなつの妹の明美。千遥が夫と離婚する際に、話がスムーズに行くように「杉乃屋」の女将の人となりを調べていた。信哉にとって千遥が自分の過去を全て明らかにして生きていくことは、”戦争が終わること”と同じように重要なことだった。

佐々岡道子 三倉茉奈

信哉の妻。放送局でキャスターをしている。なつの結婚式に参加。

土間レミ子 藤本沙紀

煙カスミの付き人。ステージに出演することもある。咲太郎に”心の操”を奪われて、返して欲しいと思っている。|赤い星座の公演「人形の家」をみて感動し、25歳の時、女優を目指すようになる。雪次郎と同じく「赤い星座」のオーディションを受ける。雪次郎と同じく「赤い星座」のオーディションに合格し劇団員となる。1959年5月頃研究生から劇団員になる。声優事務所に所属し「拳銃渡世人」の録音に参加する。男の子の声の吹き替えの仕事が多い。関東プロダクション製作のテレビアニメ「バケモノくん」にキャスティグされる。1975年頃の「タイムボカン」にはスケジュールが埋まっているため参加できなかった。

島貫健太 岩谷健司

芝居小屋「浅草六区館」の芸人。咲太郎の師匠。浅草の芝居小屋「六区館」のメインの出し物の間にコントをやっている。自分は芸人ではなく”役者”だと考えている。相方は博打好きの松井。1959年春ころ声優事務所に所属し「拳銃渡世人」の録音に参加する。関東プロダクション製作のテレビアニメ「バケモノくん」にキャスティグされる。

松井新平 有薗芳記

芝居小屋「浅草六区館」の芸人。島貫健太の相方。咲太郎の師匠。1959年春ころ声優事務所に所属し「拳銃渡世人」の録音に参加する。咲太郎に盗品の時計を渡した張本人。その後、自首して罪を償った。芝居は生み出すものというポリシーを持っていて、台本通りに覚えようとしない。関東プロダクション製作のテレビアニメ「バケモノくん」にキャスティグされる。

藤田正士 辻萬長

「ムーランルージュ新宿座」の元支配人。通称:藤正親分。新宿の焼け跡を管理し、ムーランを再建した。咲太郎にとっての親分。茂木一貞(リリー・フランキー)と親しい。戦後ショックで立ち直れずにいた亜矢美を涙なしには語れずにいたほど不憫に思っていた。

ローズマリー エリザベスマリー

浅草の芝居小屋「六区館」のダンサー。咲太郎と付き合っているが、恋人ではない。

杉本平助 影山泰

新宿川村屋の料理人で従業員をまとめる職長。柴田牧場のバターを高く評価する。雪次郎の指導する。

虹田登志夫 栗原英雄

「赤い星座」の俳優。「かもめ」で雪次郎が主役になったことに異議を唱え、異議が受け入れられず公演をボイコットし、他の若手俳優らと新たな劇団を立ち上げる。雪次郎の役者としての才能を認めている。

福島伸之 益山貴司

「赤い星座」の演出家。雪次郎、土間レミ子が参加した「赤い星座」オーディションの審査員でもあった。

登場人物 キャスト|アニメーション編

仲 努 井浦新

東洋動画アニメーターのリーダー。日本初の長編アニメーションの作画監督として活躍。穏やかな物腰で人望が厚く、かわいいキャラクターデザイン、繊細な表現を得意とし、みんなから師と仰がれる。“漫画映画”に純真な思いを抱くなつを気に入り、“アニメーション”の世界に誘う。|山田陽平(犬飼貴丈)は大学の後輩。「新東京動画」が「東洋映画」へ吸収合併され、「東洋動画」となった後もアニメーターとして活躍する。「アニメは絵に命を吹き込むこと」「ちゃんと勉強すればアニメーターになれる」となつに言葉をかける。咲太郎の「裏切ったら海に浮かぶよ」というショービジネスのジョークにドン引きする。なつの作画課の試験の絵に75点をつける。互いにいい刺激になると思い、なつと麻子を短編映画の原画に抜擢した。なつが坂場の影響を受けて隠喩と暗喩を作品に持ち込んでいることに危機感を覚える。1963年の夏頃までに作画課長(中間管理職)になる。坂場のやろうとしてることが、正しいのか間違ってるのか、新しいのかどうなのか判断がつかず、自分の限界を突きつけられているようだと思い、悔しさを抱いている。長編映画の作画監督に下山を指名したのは、下山が演出に坂場を指名することを見越してのことで、その前に実績を作らせるために坂場となつを、創設したばかりのテレビ班に抜擢させたのも、仲の狙いだった(と、井戸原は推測している)。「奥原なつを契約社員にするなら、我々アニメーター全員を”契約”にしてください!」今でもなつの決意を最優先に後押ししていて、「魔界の番長」の作画監督を受けるべきか悩んでいたなつに応援していることを伝える。「会社や他のアニメーターたちを裏切ると思っていないのなら、他の会社に移ることは裏切りではない。」と東洋動画を退職することに消極的だったなつを励ます。このころアニメーターは、会社ではなく、作品を基準にして働く時代だと考えている。冗談が極度に下手でなつにダメ出しされ、そのときに初めて、自分が冗談が下手だと気づく。

大沢麻子 貫地谷しほり

美大を卒業後、東洋動画に入社したスゴ腕アニメーター。通称「マコ」。作画監督の仲をサポートし、現場をまとめる。クールに見えるが内面は熱く、誰に対しても物おじしない性格から、社内で孤立することも。なつにとっては厳しい先輩である。|作画課のセカンド。おしゃれをするなつを”男を探しにきている”と勘違いする。とにかく優秀で、美大を卒業後に東洋動画に入社し仲と井戸原にすぐに認められる。”命を吹き込む”ことを感覚的にわかっている。ディズニーのアニメーション「白雪姫」がきっかけでアニメーターを目指すようになった。煮物など料理はうまく、親から見合いの話をたびたび受けているが、周囲には結婚とは無縁という印象を与えている。「わんぱく牛若丸」以降、なつと同じ下山班に所属。1959年5月、20分弱の短編映画でなつとともに原画を担当。坂場一久(中川大志)と全く意見が合わず、なつが帰省していた一週間、議論に議論を重ねても一向に話が進展しかった。ヘンゼルとグレーテル原作の短編映画を作るとき、当初はこれまでと違う方法に戸惑っていたが、絵コンテが完成した頃、やりたいことが見えてきたと前向きに考えるようになる。短編漫画映画「ヘンゼルとグレーテル」の製作後に結婚しアニメの仕事を離れる。夫の仕事のためイタリアへ移住する。子供に恵まれないことから夫と相談しやりたいことをやると決め、1968年にイタリアから日本に戻りアニメーション制作会社「マコプロダクション」を設立し社長に就任。吉祥寺在住。「神をつかんだ少年クリフ」に感動したことがきっかけで、再びアニメーションへの情熱を燃やすようになる。第1作目は大人向けアニメーション「三代目カポネ」坂場一久に続き、東洋動画の仕上課の退職を考えていた森田桃代をマコプロダクションへスカウトする。「大草原の少女ソラ」の放送開始からプロデューサーと動画チェックを兼任していたが、放送後ひと月経った頃限界を感じ、茜に動画を担当してもらい、プロデューサー業に専念する。「大草原の少女ソラ」の次回作の原案にエドモンド・デ・アミーチスの「クレオ(「母をたずねて三千里」の原案)」を選んでいる。

神地航也 染谷将太

抜群の画力で入社したなつの後輩アニメーター。好きなことについて話すと止まらない情熱的な性格で、坂場とはいつも息が合う。新人ながらも歯に衣着せぬ物言いで周囲を圧倒し、既成概念にとらわれない発想でアニメ表現を革新していく。|1959年4月に入社。研修期間の能力試験でトップの成績で動画に配属。実力を買われヘンゼルとグレーテル原作の短編漫画映画で新人ながら絵コンテや原画を担当する。早くから坂場一久(中川大志)のやり方に賛同することが多い。麻子がデザインしたキャラクター「魔女」がお気に入り。企画段階に話し合っている中で、その場でスケッチを描きイメージを伝えていく。坂場(中川大志)と同じように、”テレビ漫画の登場によって漫画映画で培ってきたものが消え去っていくこと”に危機感を抱いていた。茜 (渡辺麻友)に好意を持っていたが思い叶わず、最後に茜とダンスを踊る。アニメーターの地位が低すぎると問題意識を持っていて、茜やなつの出産の問題に深く関わる。「なっちゃんがここまで経験を積んでここで習得してきた技術は、そう簡単に代わりが見つかるものではないでしょう!そのなっちゃんを社員じゃなく契約にするということは、会社が全くその価値を認めていないということです!今なっちゃんを守れるのは、男でも女でもない、俺たち、アニメーターの仲間しかいないんですよ!」なつを後押しした責任を感じ、一歳の優の預け先に悩んでいたなつと坂場のために、下山夫妻に協力してほしいと声をかける。1973年夏ころ東洋動画を退職し、マコプロダクションへ移籍。東洋映画カーニバルでテレビ映画と抱き合わせで上映するようになっていたが、それは、映画の人気がなくなっているためだと話す。東洋動画内でテレビ班に移されそうになり、テレビをやるなら麻子や坂場とやりたいと考え移籍を決意。なつには「きっと(生涯を共にする)いい人が現れるわよ」と慰めれらる。スケッチすると記憶に残らないと考え、見たものは全て記憶するようにしている。「ソラ」が終わった際に桃代と結婚を前提で交際していることを公にする。

下山茜(旧姓:三村) 渡辺麻友

絵を描くのが大好きな、眼鏡をかけたおっとりとした女の子。漫画映画をよく知らず、東洋動画には見習いとして就職、次第にその面白さにひかれていく。なつと一緒に社内試験を受け、繊細な絵が評価され、なつより一足先に合格し、正式にアニメーターとなる。|1956年6月から作画課に採用され、2ヶ月ごとのテストを全てクリアして、正式に動画を描く部署へ配属される。最後の12月の試験でなつと知り合う。作画課でなつの隣の席。なつより三ヶ月早く作画課に配属。短大の頃は山下清のようにいろんなところを放浪しながら、のんびり絵を描くことが好きだった。「わんぱく牛若丸」以降、なつと同じ下山班に所属する。1959年初夏の頃には家にテレビを持っている。祖母と同居している。テレビ漫画「百獣の王子サム」の動画を担当する。「かもめ」を鑑賞しにいく。1964年までに下山克己 (川島明)と結婚。苗字も「下山」になる。結婚を申し込まれて初めて以前から好きだったことに気づいた。1967年には妊娠し、赤ちゃんを受け入れてくれる保育園を探していたが、産休後に契約社員となることを山川社長に告げられ、出産を機に東洋動画を退職。1967年秋に娘を出産。1歳から4歳まで優の世話をする。1973年3月二人目の子供が生まれる。1974年11月頃、激務の麻子のためにと動画として「マコプロ」でアニメ界に仕事復帰。作品に魅力を感じ、母を説き伏せ育児を手伝ってもらい、夕方まで勤務するようになる。

森田桃代 伊原六花

通称「モモッチ」。高校卒業後、絵が好きという理由だけで、アニメーションのことは全く知らずに、東洋動画に入社する。セル画の彩色を担当しており、なつの親友となる。なつからアニメーションの面白さを教えられ、その魅力にとりつかれていく。|1956年4月から仕上課で働いている19歳。幼少期に絵を書くことも見ることも好きだった。普通高校の求人で仕上課に興味を持ち就職する。彩色をただの塗り絵だと思っていたが、なつが楽しそうに仕事をしているのを見て、自分ももっと何かできると思うようになる。なつの影響を受け服装が変化。なつとは違い安い服を選んで着ているが、色のセンスがいいとなつから評価される。「鵯越の逆落とし」を知らない。「百獣の王子サム」の放送を見て「思ってたほど絵は動いていた、なつらしさも所々に見えた、白黒じゃなきゃ色を塗ってみたい。」と話す。1965年春頃、東洋映画の助監督と交際中で、彼も坂場と同じように”監督になるまでは結婚しない”と考えている。(なつと坂場が交際していると噂を流しているのはどうやら桃代)。なつが職場復帰した1968年なつころもいまだに仕上課で働く。1972年秋頃、マコプロダクションへ移籍することを決める。当時、東洋動画の仕上課ではトレースマシーンの導入により作業が効率化。数年間にわたりトレースの仕事をしてきたが、トレース自体の仕事がなくなっていることなどから、仕事に魅力を感じなくなり、桃代が麻子に相談しに行ったところ、美術が担当していた「色指定」の業務を含めた仕事としてマコプロダクションで働くことを決意する。1974年、柴田牧場で乳搾りを初体験。牛と仲良くなろうとして牛の前で踊る。

下山克己 川島明(麒麟)

元警察官という異色の経歴を持つアニメーター。ひょうきんで明るい性格で周りを楽しませるのが大好き。その一方、ディズニーアニメを独自に分析して、新しい動画表現を研究するという努力家でもある。後輩の面倒見が良く、なつの優しい先輩。|1955年7月に「新東京動画」の試験を受けて入社。作画を担当。なつの絵を迫力があっていいと評価する。アニメーションの”アニマ”はラテン語で魂を意味する。つまり動かないものに命を与えることが、アニメーションの大切な部分だとなつに説明する。同じコーディネートの服を着ていたらやめようと、なつと桃代が着ている服を毎日デッサンする。なつの誕生日の翌日、初めて同じ洋服を着てきたなつに気づき、悩みがあると思い気にかける。そこである先輩警官の話をする。その警官は、斡旋業者が仲介し、飲食店で働かされていた娘が警察に保護を求めてきた際に、周囲はその娘を違法ではないと飲食店に戻すつもりでいたところ、その警官は日本国憲法の中に「どんな人もいかなる奴隷的拘束を受け入れない」という一文を根拠にして娘を逃した。上司も飲食店の店主も怒り、クビも覚悟だった。その娘は、その警官の知り合いの旅館で働いている、と話す。(直接の言及はないが、この警官は下山自身の経験)拳銃を打ちたくて警察官になり、漫画映画業界に入ってからはアクションばかりを書かされる事になる。「奇跡は、当たり前のことをする勇気なようなもの。その勇気を持っているものはどこにでもいる。」「わんぱく牛若丸」以降、なつたちがメンバーとなる下山班のリーダー(原画担当)。1959年5月、20分弱の短編映画に監修としてなつや麻子、坂場とともに制作に関わる。なつによる愛称は「ゲザンさん」。結婚後の1965年春、長編映画の作画監督として指名され、演出に坂場を指名する。茜との間の娘には、頭脳明晰、風光明媚から「明子(めいこ)」と命名した。なつの産休の間に東洋動画を円満退職し「マコプロダクション」へ入社。「三代目カポネ」を手がける。

井戸原昇 小手伸也

仲とともに作画監督として、アニメーターたちをけん引するツートップのひとり。芸術家肌の仲とは対照的に、驚異的なスピードで上質な作画を仕上げる実務家肌。大柄な体格ながらも、繊細な心の持ち主で、個性派アニメーター集団をうまく束ねていく。なつの絵を「絵は下手の方だけど、馬がキャラクターになっている。何より面白い。」と評価する。1963年の夏頃までに製作部長になる。本人曰く「坂場を嫌っている」。「神をつかんだ少年クリフ」が完成した頃は映画部長となっている。「我々アニメーターは、結束の固さを信条に仕事をしております。これは、組合を超えた、我々一人一人、個人的な支援とお考えいただいて結構です。」

露木重彦 木下ほうか

東洋映画所属のベテラン映画監督。日本初の長編アニメーションの監督に起用されるものの、実写映画しか経験がなく、不慣れなアニメーションの世界に戸惑うばかり。アニメーターたちと時にぶつかり、時に協力して、プロジェクトの成功に尽力する。|東洋動画スタジオ、第一製作課長、演出家。仲を通してなつにもう一度試験を受けることを提案する。「白蛇姫」の声優を担当していた二人の映画スターと不仲で、二人のスターはそのことが原因で公開前の「白蛇姫」から降板する。その後、「白蛇姫」の声優に豊富遊声(山寺宏一)と亀山蘭子を抜擢する。アニメーター達に描き直しをさせた演出助手の坂場に一目置くようになる。1963年の夏頃までに演出部長になる。坂場(中川大志)と同じ関西出身。坂場をテレビ班に推薦した張本人。

大杉満 角野卓造

東洋動画の親会社・東洋映画社長。アニメーションに未来を感じ、東洋一のアニメスタジオを設立、日本初の長編アニメーション制作に取り組む。帯広の映画館で見た大杉社長からのメッセージ動画に、なつは心を動かされる。プロレタリア演劇の流れをくむ新劇の劇団「赤い星座」をよく思っておらず、咲太郎のことを愚連隊、太陽族とみなし、その親族のなつを面接で落としてしまう。なつが仕上課に受かった時は、なつの兄が赤い星座の劇団員だと言うことを忘れていた。車内を挨拶回りするときは、「東洋行進曲」とともにやってくる。1964年1月に会長に就任。そろばんが得意だった。1954年頃にアメリカを視察した時に、いずれはアニメの時代が来ると考え東洋動画を設立した。なつを面接したことを覚えているが、不採用にしたことは覚えていない。漫画アニメのことを「電気紙芝居」という。

山川周三郎 古屋隆太

東洋動画スタジオ所長。なつの面接を担当。なつを作画課へ移籍させようとする仲の説得を受ける。1966年8月には「東洋動画」の社長に就任している。育児に時間が取られてしまうので、同じ量の仕事をさせてしまってはアニメーター達全員に迷惑がかかることへの解決案として、”産休に入った女性社員の復帰後は「契約社員」として働くこと”を提案していたが、社員のアニメーターたちからは実質クビだと思われていた。契約社員の場合、出勤時間は自由で作画一枚につき報酬を支払うという出来高制。なつの決意を知り、育児をしながら社員として働けると判断し、予定していた女性初のテレビ班「作画監督」になつを抜擢する。東洋動画社長として「キックジャガー」「魔界の番長」などに関わる。

堀内幸正 田村健太郎

作画課の井戸原の下のアニメーター。白娘が蛇に戻る時に許仙を思って泣くシーンの動画を担当。芸大で油絵を描いていた秀才。なつの描いた泣くシーンをクリーンアップする。下山や麻子からは「白蛇姫」で辞めると思われていた。「わんぱく牛若丸」で東洋動画がやっていることは、日本の時代劇にディズニーの要素を適当に入れているだけだという。「わんぱく牛若丸」以降、なつと同じ下山班に所属。茜 (渡辺麻友)に好意を持っていたが思い叶わず。1967年、茜の代わりに「魔法少女アニー」の原画を担当。妻は東洋動画の仕上課にいた女性で、桃代(伊原六花)の後輩。すでに退職し専業主婦となっている。三年目を迎える「魔法少女アニー」で原画を担当。「キックジャガー」「魔界の番長」などでなつとともに原画を担当。マコプロへ移籍するなつの後を継いで「魔界の番長」の作画監督になる。

山根孝雄 ドロンズ石本

仕上課の課長。書き写すトレース、色を塗る彩色、そしてセル画に仕上げることが仕上課の仕事だとなつに説明。

猿渡竜男 新名基浩

テレビ班で原画を担当するアニメーター。元々はコマーシャル班に所属していた。テレビ漫画「百獣の王子サム」の原画を担当し、企画者でもある。

中島 坂口涼太郎

東洋動画の新人アニメーター。テレビ班所属。なつの部下でもあり「魔法少女アニー」「キックジャガー」「魔界の番長」で動画を担当する。

荒井康助 橋本さとし

テレビアニメ班の制作進行。人手が足りないため京都の映画撮影所から東洋動画へ出向する。ヤクザのような風貌。「キックジャガー」「魔界の番長」を担当。1974年「魔界の番長」を手がけていた時定年を迎える。ことあるごとに飴ちゃんをあげる関西人。

佐藤利之 橋本じゅん

東洋動画のテレビ班の制作部長。「キックジャガー」「魔界の番長」を担当。

宮田 川島潤哉

東洋動画のテレビ班の演出家。「キックジャガー」「魔界の番長」を担当。

石井富子 梅舟惟永

仕上げ課のリーダー。なつや桃代の上司。おしゃれな服のなつのことを”変わってる子”と思っている。同僚から影では「おとみさん」または「トミ公」と呼ばれている。

豊富遊声 山寺宏一

元活動弁士の俳優。声優として「白蛇姫」の許仙と法海の声を担当する。(東洋アニメーションの「白蛇伝」で声を担当した森繁久彌にあたる人物)。1959年初夏、テレビ映画「拳銃渡世人」の主演のスティーヴ・マッキングの吹き替えを担当。北海道訛りを直せなかった雪次郎の役を奪い取る。

藤井ディレクター 高木渉

外画「拳銃渡世人」の監督。

川谷とし(キャスト不明)

なつの母の仲の良いいとこ。赤狩りで捕らえられ孤児院に入れられていた千遥を引き取る。引っ越す前の住所は千葉県印旛郡倉田町。1955年に死去。戦後の食糧難や夫の怪我が原因で、性格が変わってしまい、いつも笑っていた千遥にきつい仕事を言いつけ食べ物も他の子供達よりも少なく与えていた。かつては、なつたちの家族と一緒に疎開しようとするほど仲の良い関係だった。いつもニコニコとしている千遥に対してバカにしているのかと怒る時もあった。

川谷幸一 岡部たかし

なつの母のいとこの夫。戦争で怪我をして足が不自由。戦前は農業をしていたが、怪我を機に船橋へ引っ越し「栄春荘」で暮らしている。なつの母のいとこ・川谷としの夫。大西洋戦争に徴兵され、1946年に復員。戦争で足を怪我をし、今でも足が不自由。戦後すぐに家出をした千遥を探しかつてなつたちがいた孤児院を探すがすでになつも咲太郎も不在。北海道の柴田牧場の住所が書かれていた手紙は千遥が持ち去ってしまったため、家出した千遥についてどこにも連絡をすることができなかった。

川谷幸子 池間夏海

としと幸一の下の娘。千遥の二つ上、なつの一つ下の19歳(1938年生まれ)。イジメられていてもずっと笑っていた千遥のことを心の強い子なのかと思い、深くは心配していなかったことを悔やんでいる。

光山なほ子 原日出子

東京の置屋の女将。千遥とは血の繋がらない養母。ある復員兵から五歳の千遥を買い取り、自らの戸籍に入れ娘として躾をして育てる。咲太郎が千遥へ送った手紙を持っていて、千遥の姉・なつが北海道にいることを知っていたが、千遥となつたちを会わせるべきか答えが出せず、千遥が十八歳になるまで言い出せずにいた。

杉山清二 渡辺大

千遥(清原果耶)の夫。千遥とは別に女性と生活をしている。

杉山雅子 浅茅陽子

千遥の義理の母。政治家も通う料亭「杉乃屋」の女将。筋の通った人柄で、息子の非を認め千遥との離婚を承諾し、亡き夫が残した「杉の子」で千遥に料理人を続けて欲しいと伝える。千遥が置屋に売られたことは過去に調べて知っており嫁に迎えることに反対していた。

杉山春雄 春海四方

千遥の義理の父。千遥が置屋に売られた娘だと知っていたが、そんなことは関係ないとして可愛がっていた。若い頃、浅草の料亭で修行していた。千遥の料理人としての腕を見込んで育て「杉の子」の女将に指名する。出汁は、なつの父と同じ味で、なつの父と同じ浅草の店で修行していた(と咲太郎は確信している)。

上田健 助川嘉隆

「杉の子」の板前

下村考子 根本江理

「杉の子」の女中

高山昭治 須藤蓮

夕見子の彼氏。札幌の老舗デパートの跡取り息子で、許嫁がいる金持ち。大学で知り合った夕見子と学生運動に参加するため(駆け落ち)上京。モダンジャズが好きで、スイングジャーナルへ原稿を持ち込むもうまくいかず自暴自棄になり、夕見子との関係も悪化し、最終的に泰樹に殴られ夕見子の前から姿を消す。(第16週 7月15日以降登場)。

坂場一直 関根勤

坂場一久の父。大学教授で考古学を研究。なつとの初めての挨拶の時は、食事をしながら終始、考古学について話し続ける。

坂場サト 藤田三保子

坂場一久の母。なつの生い立ちにも理解を示す。

高橋秀子 田中裕子

なつを担当した産婦人科医。若い頃は産後一週間で仕事に復帰るような”産めよ増やせよの時代”だった。

村川 田中真弓

福祉事務所職員。共働きすることで子供が犠牲になると苦言を呈するが、のちに保育園探しに協力する。

石沢裕也 大野泰広

「大草原の少女ソラ」の制作進行を担当。

町田義一 鈴鹿中士

「大草原の少女ソラ」の制作進行を担当。

立花久子 伊藤修子

「大草原の少女ソラ」の動画チェック担当。

白本知香子 沢城みゆき

坂場一久のアイデアで開催したオーディションでソラの声に選ばれた若手女優。「風車プロダクション」ではない他のプロダクションに所属している。咲太郎は、台本を読んでいた時から、ソラのキャラクターに合うのは、白本だと確信していた。

松武博 大泉洋

「ミルコス食品工業」二代目社長。自身の祖父が明治時代に北海道に入植した開拓者、その意志を受け継いだ父が「ミルコス」を創業する。「大草原の少女ソラ」の次回作も依頼する。

「大草原の少女ソラ」の語り 安藤サクラ

なつが「マコプロダクション」移籍後に最初に関わったアニメ「大草原の少女ソラ」の語り。

東京新宿&アニメーション編 全キャスト登場人物一覧

【東京新宿編】
岸川亜矢美 山口智子
前島光子/マダム 比嘉愛未
野上健也 近藤芳正
茂木一貞(もぎ・かずさだ) リリー・フランキー
煙 カスミ(けむり・かすみ) 戸田恵子
亀山 蘭子 鈴木杏樹
三橋佐知子 水谷果穂
佐々岡信哉(ささおか・のぶや) 工藤阿須加(幼少期:三谷麟太郎)
【アニメーション編】
仲 努(なか・つとむ) 井浦新
大沢麻子 貫地谷しほり
坂場一久(さかば・かずひさ)中川大志
神地航也(かみじ・こうや)染谷将太
三村茜(みむら・あかね)渡辺麻友
森田桃代(もりた・ももよ)伊原六花
下山克己(しもやま・かつみ)川島明(麒麟)
井戸原昇(いどはら・のぼる)小手伸也
露木重彦(つゆき・しげひこ)木下ほうか
大杉満(おおすぎ・みつる) 角野卓造

あらすじ|東京 新宿&アニメーション編

【東京 新宿編】 昭和30年代の東京・新宿、いち早く戦争の痛手から立ち直り、音楽、映画、演劇、美術など流行の最先端が集まる、活気あふれる文化の発信地へと成長していました。上京した奥原なつ(広瀬すず)は、アニメーションの世界に飛び込むチャンスを求め、行方不明の兄や妹との再会を夢見て、憧れの街・新宿で懸命に生きていきます。おじいちゃん・泰樹(草刈正雄)から教えられた開拓者魂を胸に秘めて…。

【アニメーション編】 漫画映画(=アニメーション)に夢を抱いたヒロイン・なつは、日本初の長編アニメーションの制作に参加します。それは6万枚を超える動画を、数百人の規模で完成させる前例のない大プロジェクト。北海道十勝から上京したなつにとっては、想像を超える世界でした。やがてアニメーションはテレビ時代を迎え、大きなムーブメントを巻き起こしていきます。じいちゃんの教え「開拓者魂」を胸に秘め、なつはアニメスタジオ「東洋動画」の個性あふれる仲間たちとともに、アニメーションという新たな大地を切り開いていきます。

放送情報

【放送局】NHK総合/BS プレミアム
【初回放送・曜日】2019年4月1日(月)~9月28日(土) 全156回(予定)
NHK総合|[月~土]8:00~8:15 / 12:45~13:00(再)
BS プレミアム|[月〜土]7:30~7:45/11:30~11:45(再)[土]9:30~11:00(1週間分)
【ダイジェスト放送】
NHK総合|「なつぞら一週間」(20)[日]11:00~11:20
NHK総合|「5分で『なつぞら』」(5)[日]5:45~5:50/5:55~6:00

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